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小栗忠順は何をした人?主な功績をわかりやすく解説【2027年大河ドラマ逆賊の幕臣】

2027年の大河ドラマ『逆賊の幕臣』の主役に抜擢された小栗忠順(おぐりただまさ)。

名前は聞いたことがあるけれど、「結局、何をした人?」「どんな人だったの?」と思いませんか?

実は小栗忠順は、滅びゆく江戸幕府の金庫番として国を支え、現代日本の土台となる「近代化の基礎」を築き上げた超・優秀なエリート官僚なんです!

本記事では、彼が成し遂げた3つの偉大な功績から、不器用で熱い人柄、そして「徳川埋蔵金」にまつわるエピソードと悲劇の最期までをわかりやすく解説します。

しっかり予習して、2027年の大河ドラマを100倍楽しみましょう!

目次

小栗忠順(おぐりただまさ)とは?【簡単プロフィール】

「小栗忠順って歴史の教科書であまり見かけないけれど、一体どんな人?」

2027年の大河ドラマの題材として名前を知り、そう疑問に思った方も多いのではないでしょうか。

一言でいうと、小栗忠順は「滅びゆく江戸幕府に最後まで忠義を尽くし、現代日本の土台(インフラや経済)を作り上げた超・優秀なエリート官僚」です。

まずは、彼の基本的なプロフィールをサクッと確認しておきましょう。

  • 名前: 小栗 忠順(おぐり ただまさ / 通称:又一など)
  • 生没年: 文政10年(1827年)〜 慶応4年(1868年)享年42歳
  • 所属・身分: 江戸幕府の旗本(将軍直属の家臣)
  • よく呼ばれる異名: 「明治の父」「幕府の金庫番」「悲劇の天才」

坂本龍馬や西郷隆盛のような「倒幕派(新しい時代を作った側)」ではなく、

「幕府側(負けた側)」にいた人物であることが、彼が長らく歴史の表舞台で語られなかった大きな理由です。

幕末から明治維新を生きた徳川幕府の実務官僚

幕末の歴史ドラマといえば、新選組のように刀を振るって戦う姿や、熱い理想を語り合う志士たちをイメージしがちですよね。

しかし、小栗忠順はそのようなタイプではありません。

彼は、ペリーの黒船来航から大政奉還へと至る大混乱の時代において、

幕府の「頭脳」として国のシステム作りを担った実務官僚(今でいう国家公務員のトップエリート)でした。

当時の日本は、「外国人を追い払え!(攘夷)」という感情論が渦巻いていました。

しかし小栗は、世界との圧倒的な力の差を冷静に分析し、「西洋の優れた技術や制度を取り入れ、経済力と軍事力を上げなければ日本は植民地にされる」と見抜いていました。

精神論ではなく、そろばん(財政)と最新技術を武器に、崩壊寸前の幕府を裏から必死に支え続けたのが小栗忠順という人物なのです。

勘定奉行・外国奉行など要職を歴任

小栗忠順の優秀さを一言で表すなら、「幕府のあらゆる重要ポストを任されたスーパーエリート」です。

彼は、現代の内閣で例えると以下のような要職を、時に兼任しながら次々と歴任しました。

  • 勘定奉行(かんじょうぶぎょう): 現代の「財務大臣」。幕府のお金(財政)を管理。
  • 外国奉行(がいこくぶぎょう): 現代の「外務大臣」。外国との外交交渉を担当。
  • 軍艦奉行(ぐんかんぶぎょう): 現代の「防衛大臣(海軍トップ)」。海軍の整備や造船を指揮。

これだけの重役を一人でこなしていたことからも、幕府がいかに彼の頭脳と実務能力に頼っていたかがわかりますよね。

ただの偉いお役人ではなく、「お金の計算」「外国とのタフな交渉」「軍備の強化」という、国を動かすための実務をすべて把握していたのが小栗の強みでした。

小栗忠順は何をした人?【3つの主な功績】

では、そんなスーパー官僚である小栗は、具体的に何をしたのでしょうか?

彼が日本の歴史を大きく変えた「3つの偉業」に絞ってわかりやすく解説します。

功績① 遣米使節としてアメリカへ渡り世界の圧倒的格差を知る

小栗の人生、そして日本の運命を大きく変えたのが、1860年(万延元年)のアメリカ訪問です。

日米修好通商条約の批准(正式な契約)のため、幕府の使節団の一員として海を渡りました。

そこで小栗が目の当たりにしたのは、日本の想像を絶する欧米の近代文明でした。

特に、ワシントンの海軍工廠(造船や兵器を作る巨大工場)を見学した際、日本との圧倒的な工業力・技術力の差に衝撃を受けます。

小栗はアメリカから「1本のネジ」を持ち帰ったと言われています。

「刀を振り回して外国を追い払おうとしている場合ではない。このネジを作れるような工業力と技術を日本も持たなければ、あっという間に国を奪われてしまう」

この強烈な危機感が、その後の小栗の原動力となりました。

功績② 「横須賀製鉄所」の建設と近代化の推進

帰国後、小栗が最も心血を注いだ最大の功績が「横須賀製鉄所」の建設です。

製鉄所といっても鉄を作るだけでなく、船の修理や製造を行う「総合的な近代造船工場」のこと。

フランスの技術者レオンス・ヴェルニーを招き、巨額の費用を投じて東洋一の巨大工場を造り上げました。

当時の幕府はすでにお金がなく、周囲からは「そんな無駄遣いをしている場合か!」と猛反対されました。

しかし小栗は、「幕府の命運が尽きたとしても、この施設は必ず今後の日本のために役立つ」と反論し、建設を強行したと言われています。

事実、この横須賀製鉄所(後の横須賀海軍工廠)は、明治政府に引き継がれた後、日本の近代化・産業発展の巨大な心臓部となりました。

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