歴史の教科書では「アメリカに屈して無理やり開国させられた」というネガティブなイメージで語られがちな「日米和親条約」。
しかし、実はこの条約、2027年大河ドラマ『逆賊の幕臣』で岩田剛典さんが演じる老中・阿部正弘(あべ まさひろ)が、日本の被害を最小限に抑え込んだ「奇跡の神ディフェンス(外交交渉)」だったことをご存知でしょうか?
そもそも「日米和親条約」が結ばれた背景とは?
1853年、ペリー率いるアメリカの黒船艦隊がやってきて「国を開け(開国しろ)」と迫ってきました。
当時のアメリカは、現代でいえば絶対に逆らえない超巨大な外資系企業。
大砲を積んだ最新鋭の軍艦(圧倒的な武力)を突きつけられ、旧式の武器しかない日本(幕府)は絶体絶命のピンチに陥ります。
この時、幕府のトップであった阿部正弘の絶対目標は「何がなんでも戦争(倒産)だけは避ける!」ということでした。
もしここでアメリカと戦争になれば、日本は確実に負けて植民地にされてしまう(=会社が乗っ取られる)からです。
阿部は「相手を怒らせず、かつ日本の被害を最小限にする」という、プレッシャーMAXの無理ゲーな交渉に挑むことになります。
中身を知ればスゴさがわかる!条約の「絶妙な落とし所」
翌1854年(嘉永7年)、再びやってきたペリーと結んだのが「日米和親条約」です。
教科書ではサラッと流されがちですが、実は幕府側がかなり粘り強く交渉した結果でした。その凄さを3つのポイントで解説します。
交渉①:「貿易(本格的なビジネス)」は絶対に拒否!
よく勘違いされますが、この日米和親条約では「商売(貿易)」は許可していません。
ペリーの一番の狙いは、日本と商売をして利益を上げることでした。
しかし阿部正弘たち幕府側は、「国を開くのは良いが、商売だけは絶対にしない!」と最後まで突っぱねたのです。
相手の最大の要求を退けた見事なディフェンスでした。
交渉②:水と石炭の補給、難破船の救助だけはOK
貿易を断る代わりに、幕府が譲歩したのが「人道的支援」です。
当時のアメリカの船は、太平洋でクジラを獲るための燃料(石炭や薪)や水を補給する場所を探していました。
「困っている船に水や燃料を売る」「遭難した船員を助ける」という、世界的な人道のルールだけは受け入れることで、ペリーのメンツを保たせた絶妙なバランス感覚でした。
交渉③:開港したのは「下田」と「函館」の2ヶ所のみ
ペリーは、政治の中心である「江戸(現在の東京)」を開港するように求めました。
しかし幕府はこれを断固拒否します。
代わりに指定したのが、江戸から急な山(天城越え)を隔てた不便な「下田(静岡県)」と、遠く離れた「函館(北海道)」の2ヶ所でした。
外国人を日本の政治・経済の中枢から遠ざけ、隔離することに成功したのです。
「不平等条約」と言われるけど…実は阿部正弘の大ファインプレー?
のちに結ばれる条約とセットで「不平等条約だった」とネガティブに語られがちですが、当時の状況を考えれば、これは最強の敵を相手に無傷で「引き分け」に持ち込んだ大ファインプレーです。
阿部正弘は、圧倒的な戦力差があったにもかかわらず、植民地にされることもなく、大砲を一発も撃たせずに平和的な話し合いでペリーを帰国させました。
そして、「今すぐ戦っても勝てないから、この条約で時間稼ぎをして、その間に国を強くしよう!」と考え、「安政の改革(軍事スクールの創設など)」を急ピッチで進めていったのです。
4. まとめ:ここから始まる幕末の動乱!『逆賊の幕臣』への繋がり
完璧に見えた神回避。しかし、ここから阿部正弘の本当の地獄が始まります。
「戦争を避けた」とはいえ、外国の要求に屈して200年続いた鎖国を破ったことには変わりありません。そのため、国内の「外国をぶっ払え!」と主張する過激派(攘夷派)や、徳川斉昭(演:柄本明さん)らから、「なぜ外国の言うことを聞いたんだ!弱腰すぎる!」と猛烈なバッシングを受けることになります。
外からは外国の脅威、内からは強烈な批判。 大河ドラマ『逆賊の幕臣』では、この板挟みになって胃を痛めながらも、国の未来のために泥水すする覚悟で政治を行う阿部正弘(岩田剛典さん)の「苦悩と情熱」がたっぷりと描かれるはずです。
そして、彼がこの条約で稼いだ「時間」と、見出した小栗忠順(松坂桃李さん)らの「人材」が、のちの日本をどう変えていくのか。史実の裏側を知ると、ドラマを見るのが何倍も楽しみになりますね!
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